カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン修道院と聖マーティン教会

イングランド南西部、ケント州にある町カンタベリーは英国国教会の聖地です。

町を象徴する「カンタベリー大聖堂」には司教座が置かれ、そのほかにもキリスト教関連の重要な建築物が点在します。

カンタベリーにキリスト教が伝来したのは597年のことです。

聖アウグスティヌスが布教のためにイングランドに到着し、601年、アウグスティヌスは初代カンタベリー大司教になりました。

それ以来、カンタベリーは英国キリスト教の総本山になり、現在に至りますが、ローマ・カトリックとは1534年に絶縁しました。

その後、1559年には英国国教会が成立。

カトリックから派生した英国国教会は現在も影響力があり、王室行事などに際してかならず重要な儀式を執り行います。

カンタベリー大聖堂は、まさに英国国教会を象徴する建築物です。

その規模が壮大なのは勿論のこと、英国の中でも最も格式の高い聖堂としても知られています。

カンタベリー大聖堂では、かつて大司教であったトマス・ベゲットが国王配下の者に暗殺されるという事件が起きました。

その3年後、ベゲットは聖人として列することになり、カンタベリー大聖堂には多くの巡礼者が訪れるようになりました。

現在ある大聖堂は、ロマネスク様式の古い建物にゴシック様式を加えていってできたものです。

カンタベリー大聖堂は、英国キリスト教史を最も多く物語ってくれるところです。

世界遺産登録:1987年

カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン修道院と聖マーティン教会 -2-

カンタベリーのキリスト教関連施設で世界遺産に登録されている物件は、カンタベリー大聖堂のほかに、聖オーガスティン修道院と聖マーティン教会があります。

「オーガスティン」はアウグスティヌスの英語読みで、イングランドにキリスト教を伝えたアウグスティヌスに因んでいます。

6世紀末にアウグスティヌスがイングランドに到着した頃、カンタベリーには時のケント王エゼルベルトとその妃ベルタがいました。

ベルタは熱心なキリスト教信者で、彼女の存在のお陰で比較的容易にカンタベリーに修道院の建設が許可されました。

修道院建立の目的は幾つかありましたが、最も大きな目的は歴代ケント王及び歴代カンタベリー大司教の埋葬地にするためでした。

修道院は数世紀かけて規模を拡大していき、1500年までにはカンタベリー大聖堂と張り合うほどの壮大な建物になったといわれています。

しかし、1535年、ヘンリー8世が年収100ポンド以下の修道院を閉鎖するように命じたため、聖オーガスティン修道院は解散を余儀なくされました。

現在ある建物は、その当時の廃墟です。

聖マーティン教会は教区教会で、現在も利用されている教会としては英国最古のものです。

その起源は明確にはなっていませんが、元々はローマ人が建てた建築物をケント王妃ベルタの私的な礼拝堂として使っていたとされています。

ここでは貴重なローマ様式の跡を見ることができます。

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